平成時代は社会主義寄りだった、その教育を受けた「ゆとり世代」は何をしたら良いのか

【社会コラム】 ゆとり世代が、ゆとりと言われるには理由があります。「ゆとり教育」を受けた事は典型的ですが、この「ゆとり教育」自体はゆとり世代よりも前の昭和五十五年から始まっていました。おや。ゆとり世代よりも上のプレッシャ世代・氷河期世代も「ゆとり教育」です。


では、何故ゆとり世代だけが着目されるのか。


その答えを各種報道や近代の歴史を通じて調べ続けました。その結果、分かった事は「社会環境」でした。一言で言えば、『社会主義』寄りの教育を平成時代に受けたのが、今のゆとり世代です。


ですが現実では『資本主義』社会なので、社会に出た途端にギャップが生じますね。教わってきた事と違う、という事です。競争をしないとか、個性を大切にとか。実社会では競争は日常茶飯事ですし、個性よりも協調性がモノを言いますね。平等は「法の下の平等」だけです。それ以外は基本的に較差があるモノです。



<バブル崩壊で壊れた大人達>

 その時、平成時代の大人達(ここでは主に学校の先生や保護者)は、何故、資本主義寄りな考えから社会主義寄りな考えに変えたのか。ここが一番の問題なんです。平成時代の新「ゆとり教育」自体は、そこまで悪かったモノとは言い難いです。ただ、日本社会には「バブル崩壊」が起きます。そこで大人達は、今までの考え方が悪かったと勘違いしてしまいます。

お金が減り続ける恐怖に耐えられませんでした。自殺も増えました。



そこで「ゆとり教育」を盾にお金・仕事(経済)よりも平等・個性(人権)を重視してしまう大人達が登場します。その大人達の言う事を大人しく、受け入れて育った子どもが、今のゆとり世代です。



性格は「性質」と「人格」に分けられます。前者はDNA的なモノですが、後者では環境が大いに関与します。ゆとり世代は社会主義寄りで教育されているので、まず資本主義な社会では心がついていきません。よって、鬱にもなりやすくなります。学んできた、育ってきた環境とのギャップが大きい為です。


ゆとり世代は何ひとつ悪くありません。逆に、ゆとり世代は、当時の大人達の言うコトを本当に良く守ってきたと思います。悪いのは当時の大人達です。あまりにも平等・個性(人権)を重視してしまいました。強いて言うならば、ゆとり世代は悪しき教育環境の被害者です。



ここは頑張ってチェンジするしかない

 成人すれば、自身の人生は法的に自己の責任となります。刑法でも民法でも、そう定められています。ですので、社会主義寄りで育ったとしても、何とかして資本主義の社会に適用させなければなりません。それはお金と仕事を重んじるコトなんです。最も重要な要素は「他人とのコミュニケ―ション」なんですね。


これは苦手なハズです。他人とのコミュニケ―ション、特に他世代とのコミュニケーションをさせてもらえなかったからです。そもそも学んでませんし、当時の大人達は事実上、他世代とのコミュニケーションを禁止しました。教育学の知識が無い大人が、大いに幅をきかせました。今の無学なTVコメンテータと同じです。



安心して下さい。資本主義では本音は、そんなに要りません。ほぼ、使わないでしょう。建て前だけで基本的に大丈夫です。嘘音(ペルソナ)ですね。「本音と建て前を使い分ける」と言いますが、社会では圧倒的に建て前を使います。他人と話す時、表面上は嘘の自分です。真剣に建て前をすると、驚く程に慣れます。疲れません。


ですが、お金と仕事は嘘ではいけません。表面上は嘘でも、お金を発生させる仕事では本気で出力すべきです。お金を発生させる金融等の学びも本気で出力すべきです。つまり、基準は全力です。



そして心が調ったら、他人(主に他世代)と競い合います。勝負です。



普通は勝ちたいです。勝つ為に努力して準備しますし、負けたとしても何度も挑戦した結果、勝つコトも有り得ます(例;司法試験)。その後も勝負の連続です。それが人生なんですね。



この勝負だらけの環境から離れる方法もあります。それは人のいないアフリカ等に移り住むコトです。但し、そこでは日常的に自然との戦いがありますね。やっぱり勝負です。都市だろうが、田舎だろうが、僻地だろうが、生きているなら勝負に変わりありません。生きる、というコトは勝負そのものなんです。


今のコロナもそうですが、「ヒトvsコロナ」どっちが勝つか、なのですね。負ければ本当に死にます。そんなモノです。



これで最後です。

<資本主義の社会では、信用・信頼が最も大切です。>

 これは、ちゃんとやるのか。やったモノの質は高いか。何よりも裏切らないか。何度も裏切り続ける人は信用されず、SNSであっても他人から避けられるでしょう。何か間違いを指摘された場合には、自己正当化よりも真摯に謝る事が信用に繋がります。自己正当化の多くは信用を壊します。


共に統計的に明瞭です。本当に自分が正しくても、後で変えるコトができますし、先に謝る方が信頼度が上がるんですね。詰めたり、怒り続ける方が信頼度が下がるんですね。

ちなみに真摯に謝るとは「二度としない」という事実です。



これからは心を養っていく

 変な大人達のせいで、平成時代に学生だった人達は不遇でした。今もお金・仕事(=心)よりも人権を優先し過ぎている大人達がいます。至って無責任です。そもそも日本は社会主義国家にはならないでしょう。これからも基本は資本主義です。今までの資本は労働や財力でしたが、令和時代以降の資本は知識と心です。


「知識資本主義」は世界で最も有名だった経営コンサルタント(社会学者)であったピーター・F・ドラッカーが唱えたモノです。心は「合本主義」といって日本の資本主義の祖である渋沢栄一が「論語と算盤」で道徳として唱えたモノです。


これまではお金が全てのモトでしたが、これからは知識・心がモトです。金持ちダケは無用の時代です。良き知識・善き心にはお金も仕事も入ってきます。人権はある程度で大事ですが、先に、生きる為のお金と仕事を獲得し続けましょう。ずっと嫌がっていても仕方ありません。サッサと切りかえてより良い人生を獲得するコトです。


記事:羽田野正法

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