ニュースにおける映像(ムービー)の力

【コラム(Media Literacy)】 前回はニュース(報道)の② 写真(スチル)について触れた。今回は③ 映像(ムービー)の力について。他には① 原稿(テキスト)・④ 音声(ガンマイク)・⑤ 照明・⑥ アナウンサーとリポーターがある。動画共有サイトにより③ 映像(ムービー)は企業の命運を握る。

以前は通信会社とテレビ会社だけのものであった映像(ムービー)。今となってはショルダー型の機材だけでなく、ハンディ型の小型機材で取材現場に赴くニュース媒体もある。以前は④ 音声(ガンマイク)と⑤ 照明との三名チームで現場に挑んでいたが、新メディアは一人もこなす。但し音質と照度については劣化する。



<AIDMAのDとM>

 印象的な映像は喜怒哀楽の感情を惹き起こし、記憶に残り易い。そう、新メディアのニュース媒体は動画を利用するコトにより、これを手に入れるコトができる様になった。優れた記事はユーザを惹きつける。こちらは今も昔も同じ。ここでは動画を記事としてみなす、「動画記事」と呼ぶ。YouTube上には三種の動画記事がある。一、ほぼ生取材データの動画。二、編集された取材動画。三、独自形式(取材)の動画。一は「JIJIPRESS」「maidigitv」等。ニは、「FP姫」「週プレ」「oriconofficial」等。三は、「朝日新聞社」「日テレChannel」等。

それぞれの意味や目的は異なる。一は状況を報じるのに向く。ニは編集部の訴えたいコトにフィーチャする。三は事象に対する深堀だ。一度再生されたからといって、安心はできない。動画記事の第一次離脱は五秒以内に決定される。サムネイルに凝っても、そもそも再生されないかもしれない。やはり① 原稿(テキスト)と② 写真(スチル)の力には頼りたいところ。動画記事の適度な尺は九十秒から百八十秒以内。ユーザが離脱しない工夫が必要だ。但し三十秒や六十秒の壁を超えるコトができれば、欲求(D)と記憶(M)にリーチがかかる。



<報道の動画は難易度が高い>

 こちらも一体化が強みをもつ。映像の撮影者と編集者と採決者。この三者が一蓮托生となっているコトが優れた動画記事の最低条件であろう。ユーザは目利きができるので、譲れない条件だ。そして記者とカメラマンとの一気通貫は誉れとなり、結果として媒体の信頼性が上がる。各々がバラバラであるとユーザは困惑し、何を伝えたいのかが不明なまま動画記事から離脱する。動画記事には撮影的なテクニックや編集タイミングと構成、主張したいコトがモノを言う。総じて一貫性が問われる。

但し一度ユーザが信頼を置けば、定期的リピート率が高くなり映像がもつ訴求力が高まる。旧メディアにおいて報道の映像は至って退屈なモノであった。然し新メディアにおいての報道の動画記事は刺激的である必要性がある。全く真逆なのだ。新メディアはオンデマンド形式なので、一度忌避される(退屈だと思われる)とそのチャンネル名を覚え再生をしない。



<物事の本質へ迫る映像の力>

 写真記事媒体は多い。動画記事媒体は圧倒的に少ない。驚く程に少ない。ムービーカメラマンには選択肢が少ない。然もテレビ界で上手くいったコトがウェブで上手くいくとは限らない。映画界やテレビ界でプロデューサやディレクタ(監督)を狙う者は、ウェブで経験を積んだ者が強くなるであろう。ユーザは思っている以上に短気だ。離脱が早い。日本人は世界最速の平均離脱時間をマークする。だから鍛えられる。

ツマラナイと思われる報道で経験を積めば、未来に報われる。成功の要因は、媒体の志向性を熟知し、取材案件における採決者の意図を汲み、編集者とコミュニケーションを高め、少しでも劇的なストーリー性ある映像を撮るコトだ。最後はセンスがモノを言う。成功すれば、ユーザへ物事の重要さ・深刻さ等を深く伝えるコトができる。それが映像冥利なのだ。


「悪魔のように細心に、天使のように大胆に/映画監督 黒澤明」


次回は④ 音声(ガンマイク)について。言葉を伝える目的から、現場の環境を伝える目的に変わりつつある。記憶に残るコンテンツは音声にある。

(了)

















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