【社会報道】 平成二十九年三月十日に東京都庁にて、第二十七回『東京都平和の記念式典』が行われた。式典には小池百合子(壬辰)都知事、川井しげお(丁亥)都議会議長、来賓として在日外交団代表の在日ジブチ共和国 特命全権大使であるアホメド・アライタ・アリ(辛丑)閣下、東京空襲被災者代表として佐久間国三郎(己巳)の四名が登壇した。
第二次大戦では百回を超える空襲を受けた東京。昭和二十年三月十日に下町地区(墨田区等)を中心に襲った大空襲は一夜にして十万人とも言われる都民が犠牲になった。都知事は「今日の平和を享受する事ができるのは、都民の尊い犠牲と先人達の懸命な努力に因るもの。戦争・空襲の記憶を絶対に風化させない、しっかりと後の世代に伝えていく事が私達の使命。」と挨拶した。
<大空襲、その日の出来事を語る>
都では、この惨劇を二度と繰り返さない為に三月十日を東京平和の日とした。被災者代表の佐久間は北新宿に在住の八十七歳。「孫たちへの証言」と物語を朗読し、当時の状況を語った。テーマは東京大空襲だ。新宿が地獄になった五月二十五日の一日二十四時間の出来事を短縮した。空襲当時、佐久間は十五歳であった(東京都庁 第27回東京都平和の日記念式典より抜粋)。
当時の悲惨な状況が目の前に浮かび、空襲経験者から語られる言葉は一つひとつが重い。終わりに、二度と戦争を繰り返してはいけないと強く主張した。式典終了後に佐久間は囲み取材に応じ、心境を露にした。「以前から式典は傍聴していた。自分も壇上で話したいと思っていたのが叶った。」と思いの丈を述べた。戦争を知らない世代に対して、「最近きな臭くなってきたみたいですが、戦争は絶対にしてはいけない。」と警鐘を鳴らす。戦時中の空襲について問われると「B29が夜間飛行で低く飛んでいて、空っぽのお腹に低く響いた。」と食料不足と迫る恐怖を語った。
取材の最後には「あの様な悲惨な戦争を繰り返してはいけない。」と再度に念を押し、今後の戦争が起こらぬ未来を望んだ。
『第二十七回 東京都平和の記念式典』
撮影記事:岡本早百合
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