子ども達に映画製作体験を、配給・宣言も学んだ『なら国際映画祭』

【芸術・教育報道】 令和三年九月十八日から二十日に三日間に亘ってなら国際映画祭(代表理事:中野聖子)は、 芸術の力で次世代を担う子ども達の応援プロジェクト『なら国際映画祭 for Youth 二〇二一』を開催した。本年より新名称。河瀨直美(己酉)監督等が参加した。


会期中に以下の三つのプログラムを実施した。

  1. ユース映画制作ワークショップ
  2. ユース映画審査員
  3. ユースシネマインターン


一では、一線で活躍する映画監督を講師に招き、中高生が主体となって構想・撮影・編集・上映までを行った。十七人が参加し、期間内に三作品が誕生した。

一作品目は恋愛がテーマの「青い」。女性同士の恋愛を描いた。二作品目は多様性をテーマにした「SPACE」。自分と相手、それを取り囲む全体の空間を表現した。三作品目は依存をテーマにした「ライフライン」。女子高生が母との関係に悩み、どんどんアイドルへ嵌(ハマ)っていく。最後には、制作を行った子ども達が泣きながら本音で親とへの思いを語るフェイク ドキュメンタリを収めた。


二では、独「ベルリン国際映画祭ジェネレーション」推薦の長編映画五作品と「ショートショート フィルムフェスティバル&アジア」の推薦の短編映画五作品を上映し、十人の子ども達が審査員として参加。審査基準も子どもが決めた。


三では、映画作品の配給・宣伝を学んだ。六人が参加。リムカーワイ監督の映画作品「いつか、 どこかで(二〇一九)」を通してチラシやポスタ、Web、予告編等の制作をそれぞれが手掛けた。


初日に“祈”のレッドカーペットにて司会を務めた古見成生と瀬戸紫英の両名は、子どもの観点より本映画祭に参加して得た事を「“経験”というギフトを貰った。経験は自分がするものではあるが、自分一人ではできない。なら国際映画祭を開催してくれる人達がいるからだと実感した。」と古見。紫英は「プロフェッショナルとの出会い。」と答え、自分から作りたいもの、伝えたいものを一直線に突き進んで発信していく“本物”の姿勢に大きな刺激を受けた点を話した。


参加した他の子ども達からは「精神の変化や辛かった時の気持ちを映画中に映し出せた。」や「もっと早くから参加したかった。」等があった。


写真:(特非)なら国際映画祭

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