各国映画祭で受賞、映画『特攻志願』が遂に本邦初上映

【芸能報道】 平成二十九年四月八日に東京・下北沢にて、カートエンターテイメント(代取:柿﨑裕治)はショートフィルム『特攻志願(二〇一三)』の舞台挨拶を行った。本作は北米最大規模の加「モントリオール世界映画祭」をはじめ世界各国の映画祭に正式招待され、西「マドリード国際映画祭」等で六賞を受賞した実績を有す。


E.プロデュ―サを務めた柿﨑代取(戊申)、監督・脚本の小野寺昭憲(庚申)と竹島由夏(丁卯)が挨拶した。柿﨑代取は東久邇宮文化褒賞及び記念賞を受賞している。同賞は旧皇族で陸軍大将だった東久邇宮稔彦王(丁亥)元総理大臣の長子・盛厚王と政治家で発明家であった豊沢豊雄(丁未)により創設された。日本と関係するあらゆる分野で世の為、人の為に多大な貢献をした方々を国籍を問わず、広く受賞の対象としている。




<冬の熊谷>

 柿﨑代取は、「先の大戦で、特攻隊のとある方をテーマにしています。」と始めた。とある方は陸軍将校・藤井一中尉。「(鹿児島)知覧から飛び立った若者、四百数十名。皆さん一人ひとりにドラマがあるので全てお話ししたい所ですが、今回御縁がありまして、一人の方を特攻志願として映画化する運びとなりました。」と、経緯を話した。


竹島は藤井一中尉の妻役を務めた。「当時の雰囲気を監督が出される為に、(埼玉)熊谷の山の方の古い校舎を使って撮影をさせて頂いたり、昔の木造家屋の建物や民家で衣裳も勿論、当時の物で。二月頃だったんですけど、まだ雪が残る寒い中で裸足に下駄。皆、寒い中で撮影を頑張っていました。」と、作品に拘るが故の厳しい現場であった事を伝えた。


小野寺監督は、「雪の中っていう所で、寒かったなあという記憶がありますね。海外で上映して頂いた後に、遂に今日晴れて日本で。日本の映画なので、日本の方に観て欲しいっていう思いで創った映画です。」と、本邦初公開を喜んだ。



二十五分に詰められた、その時代

 本作は二十五分間の中に、その時代の本当を映し出している。特攻という世界史に刻まれた戦術は、若者に家族に何を齎したのか。各人の心の描写を語らずも浮かび上がらせている。この類のリアリティある映画は少なくなった。だが今日の日本から僅か七十年前の話である。彼らが居たから、今日の平和がある。戦争を知らない人達に観て貰いたい映画だ。


本作は十四日(金)迄、下北沢トリウッドにてレイトショー上映している。尚、二十六年から始めた舞台「帰って来た蛍」が十月に六本木俳優座にて、六回目となる公演を行う。


=あらすじ=

大東亜戦争末期、敗戦濃厚となった日本軍が決行した捨て身の体当たり戦法・・・特攻。熊谷陸軍飛行学校教官として少年飛行兵を教育していた藤井(虎牙光揮)は、教え子たちが次々と特攻に出撃していく中、自らも特攻に志願する。しかし、指導者であり妻子ある藤井の嘆願は受理されることはない。夫の不動の決意を知った妻・福子(竹島由夏)は、ある覚悟を決めた。・・・


この作品は、実在した陸軍将校・藤井一中尉とその家族の、最期の三日間を描いた真実の物語である。


ショートフィルム『特攻志願/㈱カートエンターテイメント』舞台挨拶

画像引用:カートエンターテイメント公式HP

撮影記事:金剛正臣

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