【芸術報道】 令和三年十一月一日に東京・日比谷にて劇場アニメ『じゃりン子チエ(一九八一)』のトークショーが行われた。第三十四回「東京国際映画祭」内。本作の国際上映は、三月に死去したアニメータ・大塚康生(辛未)の功績を振り返る特集「アニメーター・大塚康生の足跡」の一環。
上映後に登壇した本作の美術監督・山本二三(癸巳)は、「久し振りに映画館で観て、凄く感動しました。高畑勲監督の素晴らしいドラマ性、大塚康生さん、小田部羊一さんの作画が物凄く良くて。」と、本作の監督・高畑(乙亥)やキャラ設定等を担当したアニメータ・小田部(丙子)等の四十年前の思い出話を交えながら、当時の若かりし巨匠を伝えた。
公開当時は、高度経済成長期の後の「安定成長期(実質GDP成長率が平均で四.二㌫)」。
映画「天空の城ラピュタ(一九八六)」を始め、多数のスタジオジブリ作品やアニメ映画「時をかける少女(二〇〇六)」等で山本は美術監督を務め、近年ではアニメ映画「天気の子(二〇一九)」に登場する天井画を手掛けた。日本アニメを支え続ける一人。
「じゃりン子チエ」の制作当時は二十七歳だった。「私が役に立てるかどうか危惧してたんですが、完成した時は嬉しかったです。」と振り返った。山本は「高畑さんは怖いんですよ。」と笑みを浮かべ、「(作中に)出てくるかは分からないけれど、木賃宿(キチンヤド)に泊まっておいた方が良いという事になって泊まったんです。その時、高畑さんに『何故、木賃宿というか知ってるか。』と聞かれたんですね。僕が『薪を買って、自分で自炊するからですよね。』と言ったら、『よく知ってるね。』と言われて。」と博識な高畑監督から度々、知識を試されていた思い出を語った。
アニメ評論家・藤津亮太(戊申)から「山本さんというと、ディテールががっちりした背景を描かれる印象があるんですが、チエは少しタイプが違うと思うんです。」という質問に、「高畑監督と相談しまして、はるき悦巳さんの原作を大事にしようと。キャラが三、四等身しかないので、その分、天井を少し低くしたり、日本の家屋は壁が多いので、壁や襖のマチエールをどうやって出していこうか、というのを相談しました。」と、当時のやり取りを伝えた。
最後に改めて大塚はどんな人物だったか問われると、「凄く優しくて包容力のある人で、博識。宮崎さんや高畑さんを立てて、少し後ろに下がる様な感じで支えてくれました。じゃりン子チエでオファーをくれた事についても、凄く感謝をしています。」と語り、穏やかな笑顔でトークショーを締めくくった。
本映画祭は八日まで。日比谷、有楽町と銀座地区にて開催中。
記事撮影:岡本早百合
© はるき悦巳/家内工業舎・東宝・ユニバーサルミュージック・TMS
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