可能性を感じないニコ超・TGC・AKB総選挙

【社会コラム】 幕張メッセや代々木公園・第一体育館などの大型施設では、魅力的なイベントが行われる。それらの魅力は新たな知見による刺激や感動、心の安定などの多彩な経験をもたらすものだ。チケット代は決して安くないが、可能性を感じさせる。だが近年、有名イベントの衰退が激しい。それは可能性の問題だ。


焼き直し的なものが散見され、新鮮味や挑戦が弱くなった。今、衰退しているのではない。可能性を感じないイベントは、直に衰退フェーズに入る。来場者だけならば、ニコ超は十五万人台だがネットの方は五十万人も減った。TGCとガールズアワードは三万人台で推移、AKB総選挙は三万から七万人の間、と集客はできる。残念ながら、これらの中に刺激的な新鮮味や挑戦がない。ガレージ系イベントとして興隆したワンフェスも同じだ。



<若手のエッヂ感が感じられない>

 ビジネスという点では問題ないのだろう。定期的に安定的に稼げる。本コラムの観点は、可能性だ。最早、先に挙げたイベントは古い。中年・シニア向けのイベントの様だ。若手が企画に参加していないのか、若手が抑制されているのか。先に挙げたイベントには若手のエッヂ感を今は何も感じない。数年前迄は、そのエッヂ感が随所で感じられ、現場の空気感が違かった。考えられるパターンは、惰性と責任回避だろうか。仕掛け人の内、およそ中年・シニアの保身が推定される。もしくは、そこの若手のセンスが既に中年・シニアなのかもしれない。



ニコ超は今回、都知事を呼びメイン扱い。それよりメインは進次郎に据えるべきだっただろう。企業や政党等のブースを取材してきたが、毎年、広報担当のテンションは低くなっていった。彼等に熱意が無くなった。まるでルーティンだった。ガールズアワードは、数々のモデルを成長さえて高みに上げた。TGCには、そのイメージがない。モデルが次の活躍の場を与えられる可能性を持っていたのが、ガールズアワードだった。少女時代を呼んだのもガールズアワードで、他のライヴのキャスティングも巧かった。


AKB総選挙は武道館の籠った熱気と一体感からスタジアムへ移行し、家族連れも客席にいた。横浜までだろうか。TVを意識してか、ランキングが長くなり過ぎて間延び感が否めない。莉乃になってから雰囲気が停滞気味だ。ワンフェスはレイヤーの品質が非常に高かった。ガレージ系のイベントに相応しく、殆どのレイヤーがしっかりと造り込んで、入り込んでプライドを持っていた。その創作力と努力に幾度も感動した。



可能性の感じれるイベント

 逆に可能性のあるイベントも表記したい。東京コレクションのファッションウィーク東京(FWT)、東京国際映画祭(TIFF)、TOKYO IDOL FESTIVAL(TIF)、シンデレラフェスなどが挙げられる。FWTは言わずもがな、尖ったセンスのデザイナの祭典である。特に若手のエッヂが効いているのがヒカリエBホール。Aホールは王道的である。TIFFはディレクタ・ゼネラルが挑戦的で寛容的であった。その為、ただ映画を流すだけでなく、様々なイベントを創り出している。


TIFは出演アイドルが千人を超えてしまった。グラドルの活躍の場やS女優のステージ、大人な時間もあり、色んな事に挑み続けている。シンデレラフェスは女子高生が主役なので、女子高生自体が企画運営したり、ブース出展者の若手が女子高生に分かる様に工夫を施している。彼らの挑戦は当たっている、とは言い難い。だが可能性を感じる。現場に来場すると新鮮な体験を得れる。


数字だけでは計れないものを数字で計ろうとすると、衰退が始まる。イベントは新たな発見を来場者に与えるものだ。新たな発見のないイベントは、自ずと衰退する。挑戦は数字に現れるまで年月を要する。つまり挑戦に確からしさなんてものはない。


これかも若手の様々な発想と、彼らをバックアップする中年・シニアに期待したい。


記事:金剛正臣

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