“才能が無い”のではなく、“才能が未開花”

【人生考察】 貴方(貴女)には師匠がいるか、ないし師匠がいたか。


今回はこれに尽きる。


一つ言える事は才能は勝手に開花しない。アマゾンの奥地で人知れず育った子は、人間の言葉が話せない。その子は、人間社会で何かの才能が有るだろうか。答えは、無い。誰からも何も教わってないからだ。才能の意味を見てみよう。


  • 才能=才智能力物事を遂げる事のできる力/「岩波国語辞典」第七版)
  • =資質+物事をよく知り、弁えている。物知り。賢い。頭の働き。理解し判断する力/同


資質は、遺伝や家庭環境に因る。この資質は子どもではどうにもならない。しかし、能力と智は自身でどうにかなる。「物事を知っているか」「判断できるか」「遂げる事ができるか」の三点。これは自身だけで開花できない。助けが必要だ。この三点をジャッヂできる者が師匠。自身の才能を開花して貰う。


詰まり、才能とはキリスト教の「Gift」とは異なる。師匠を探し、鍛えて貰って才能を得て開花して貰う。これは誰にでも才能が秘められている事を指し示す。音楽(クラシック・オペラ)や政治等では経歴に「〇〇に師事」と記す。誰に仕えたか。誰にも仕えてなくば、社会からは評価され難いだろう。それは才能を開花して貰ってない証拠となるからだ。




<守・破・離>

 才能にも色々ある。学問の数、人々の興味・関心の数だけ才能というのは有る。師匠の数もそれなりに居る。自身よりも年下でも師匠と成り得る。才能に年齢は関係が無い。数々の師匠から数々の才能を開花して貰う者も居れば、一人の師匠から数々の才能を開花して貰う者も居る。今まで何人もの師匠に仕えたが、最後の一人で開花して貰う者も居る。その者の運は大きいだろう。


はっきりとしている事は、師匠が一人もいないのに才能は開花し得ない。


よって落ち込む必要はない。自身の何の才能があるのか、予め分かっている者は存在しない。誰かに認めて貰うものが才能である。そして現代では金銭(取引)が発生すれば、それは全て才能である。才能とは資質と学びに他ならない。


基本は守・破・離。


大切な事は、師匠に仕え続ける事。中学以上は先生という師匠が複数人いて当たり前。これからは小学以上。自身の才能を開花して貰う師匠を探し仕えるのが、より善き人生に繋がる。月謝等のお金は必要かも知れない、必要ないかも知れない。共通する点は“礼”。礼を欠いては、開花して貰える才能も開花して貰えない。


まとめると、師匠の数だけ自身の才能は秘めている。まだ見ぬ自身が未来に居る。最初は、善き師匠に出会う為に運気を良くする。下記の通りに何ら焦る必要無し。


=論語/孔子=

 「子曰(ノタマ)わく、吾十有五(ジュユウユウゴ)にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳従(シタガ)う、七十にして心の欲する所に従いて矩(ノリ)を踰(コ)えず。」


ー口語訳/北九州市立中央図書館ー

 「先生が言われた。私は十五歳で学問に志し(志学)、三十になって独立した立場を持ち(而立、ジリツ)、四十になってあれこれと迷わず(不惑)、五十になって天命を弁え(知名)、六十になって人の言葉が素直に聞かれ(耳順)、七十になると思うままに振舞って道を外れない様にになった(従心)。」


記事:金剛正臣

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