【コラム】 平成二十九年、秋の日本は激動だった。日本人は生や新しいものが好き。だが成長には振り返り(アーカイヴ)が欠かせない。例年になく稀有だった秋を振り返る。
それは九月一日。衆参共に第一野党だった民進党の代表選が行われた。蓮舫から前原誠司に変わった時だった。「野党第一党の党首は次の総選挙で政権交代を狙うと。即ち総理大臣になる。」と代表選後の記者会見で述べた。対抗馬は枝野幸男だった。同日、小池百合子は定例会見で民進党と「手を繋げる所は、国会の場で連携していかれれば良いのではないか。」と発言。
二週間後、若狭勝が「輝照塾」を開講。この時は年内を目途とした国政政党の立ち上げが前提の報道であった。百合子が明確に安倍政権を批判し始めた時だった。
二十一日には二十五万人が来場した「東京ゲームショウ」。基調講演ではe-Sportsやゲームのデジタル流通、触感の進化等が論議された。東京を核にアジアや欧州等の最新のゲーム等が並んだ。
二十五日に百合子は「希望の党」の立ち上げを発表し、二十七日に設立会見。「日本をリセットする。寛容な保守を目指す。」と政権交代を掲げた。前原は民進党の衆議を希望の党に合流させようとした。そして翌、二十八日に衆院解散。安倍晋三は「国難を突破する為。」と三年振りの総選挙に突入。だが二十九日に百合子は「全員を受け入れるという事とは、さらさらない。(リベラル派は)排除する。」と激震が走る。
十月二日、見かねた枝野幸男が「立憲民主党」を立ち上げてリベラル派の受け皿に。自民党は告示日の十月十日より前から、小泉進次郎等を東京の街に立たせてフルスロットルに近い状態であった。一方の希望の党は中々動かず。立憲民主党は超短期のSNS戦略を準備していた。
各立候補者が各々の政治信条や制作等を街角で訴える最中の十六日に東京コレクションが始まった。会期は七日間。来年春夏の装いは王道系で軽やかで爽やか。若手系はダークポップ。他のアジア勢はジャンク的だった。東京の最先端のファッションを魅せつけた。二十二日に投開票が行われ、与党は圧勝。だが当日の安倍の顔は然程に明るくなかった。第一野党に立憲民主党。希望の党は議席を元の水準まで戻せない程の惨敗。公明党も六議席も落として神話が崩れた。投票者数は五千七百万人。
二十四日、東京株式相場では日経二二五が十六連騰。過去最長の連騰を記録。二十年振りの高値更新となった。
二十五日から三十周年の節目となった東京国際映画祭。会期は十日間。銀幕のミューズと称し、満島ひかり等の四名の過去作品を上映。満席を連打。同日に米海軍第七艦隊は空母十一隻の内、三隻を一管轄海域に集めた。北朝鮮への警戒及び圧力。更に同日、二年に一度の東京モーターショーがプレスデイ。会期は十二日間。二十七日の開会式で瑶子女王殿下は例年に勝るユーモアを放ち、豊田章男は「世界一のテクノロジショーを目指して準備をして参りました。」と言い放った。
三十日は世界三大ミスコンの一つ「ミス・インターナショナル」の日本代表を決めた。ここ数年は世界大会を日本で開いており、このミスコンの日本代表は重要である。本年は十一月中旬に世界大会。
十一月三日には東京国際映画祭のクロージング。ハーバード大で同窓・ルームメイトだったトーミー・リー・ジョーンズとアル・ゴアが並んだ。だが本年は世界的に有名なスターの来日が伴わなかった。同日にイヴァンカ・トランプが政府のイベントで女性の起業について講演。
五日に東京モーターショーはフィナーレ。来場者数は七十七万人。だが欧米の主要メーカの殆どは参加しなかった。同日、ドナルド・トランプが初来日。先ずは安倍とゴルフを愉しんだ。
この六十六日に起きた事柄である。政治・経済・芸能・社会。全てが大きく動いた。今秋が日本にとって歴史的転換点になるか否かは未来のみぞ知る。但し、稀有であった事実は違いない。
記事:金剛正臣
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