今の若者・若手が憶えておくべき『安倍晋三』という男の功績

【政治追悼】 令和四年七月八日に安倍晋三(甲午)元・内閣総理大臣は暗殺された。六十七歳。第二十六回『参院選』の投開票日の二日前だった。


戦後最年少の五十二歳で総理へ任命。通算で八年八ヶ月の戦後最長の内閣を築いた。


最大の功績は『若者・若手』を重んじた事。平成二十四年十二月の第四十六回『総選挙』にて政権交代。報道府(代表:金剛正臣)は、同二十五年の第二十三回『参院選』より政治報道へ参画。それまでの上場企業等の報道実績により、安倍内閣は報道府を報道機関と認め、以後、総辞職の令和二年九月まで官邸取材や直接取材、若者・若手を代弁する各論説等に耳を傾け続けた。




<子どもの世代会計を回復>

 平成二十四年までの日本の政治・選挙には、子どもの言葉はあれど、若者・若手の言葉そのものが極めて少なかった。依って、代弁者無しの最高の意思決定機関『国会』にて常に若者・若手が不遇をかこつ


それを安倍内閣は打破した。今では国政選挙でも各党から若者・若手の立候補者が多数おり(公明党を除く)、当選者もいる。“代弁者無し”から“代弁者(報道府)・代表者(各議員)有り”に変わった。最大の功績である。報道府を天皇陛下にも繋いだ。


安倍内閣は、実に多くの若者・若手支援策を講じた。先ず、「ゆとり世代」への就職支援。現在のゆとり世代に安定職がある理由は、正に安倍内閣のお陰である。


報道府が提示している「世代統計」も重んじた。「氷河期世代」への就職支援の実施(本来は年齢を縛り、求人してはならない)や『世代会計』の回復。当時の十歳以下の世代会計は大きく好転し、成人した際の負担を大きく減らした。




百兆円単位の国家予算増

 二番目に大きい功績は、コロナ禍の令和二年における九十兆円/年の新規国債発行。国家予算の限界突破だ。ときの岸田文雄(丁酉)政調会長とのコンビネーションで、財務官僚達を振り払い、報道府の最も厳しい要望「百兆円単位の国家予算増」を実現した。


これは間違いなく歴史に残る事実で、令和四年時点で既に最高税収を更新し続けている。財政において、大きな前例を安倍内閣は創った。


関連し、三番目に大きい功績は、「緊急事態宣言」を世論のギリギリまで発出しなかった事だ。小池百合子(壬辰)都知事の再三に亘る発出要請を交わし、多くの子ども・女性の自殺を食い止めた。本当に多くの若き命を守った。自粛もできる限り避けた。併し、百合子都知事のTVアピールはしつこく、世論が宣言を求めてしまった。


国際標準である「集団的自衛権」も『新安保法制(平和安保法制)』により、世論に認めさせた。この時も報道府は国会へ走った。



日本主義の先鋭総理

 まだまだ安倍内閣の功績はあるが、二回の「消費税」増税は、報道府の力が及ばないばかりに防ぐ事ができなかった。若者・若手が消費税計五㌫増の辛さを分からなかった。この時も世論に負けた。


一重に安倍晋三という男は、日本国の現在・未来の為に命を賭した政治家だった。そして子ども・若者・若手を非常に重んじてくれた。


我々報道府は、歴史的転換点となった、勇気ある偉大なる日本の事積を未来に亘り、報じて続ける。そして若者・若手が解決すべき課題、『新共産主義』と『日本主義』の対立が存在する事も安倍内閣のお陰で分かった。


総理辞任後に、その男は「これでもか」という程に日本主義を先導していた。これに新共産主義の陣営が気が付かない訳が無い。危険を感じる程までに、日本主義の鼓舞を今回の参院選では各地で行っていた。



本当にお世話になりました。誠に有り難う御座いました。そして、お疲れさまでした。

ご冥福と輪廻転生をお祈りします。


記事:金剛正臣

撮影:岡本早百合



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