尾辻参院議長の追悼の辞|『全国戦没者追悼式』終戦の日

【政治報道】 皇紀二六八二(令和四)年に日本国政府(総理:岸田文雄)は、北の丸「日本武道館」にて『全国戦没者追悼式』を開催。既報。「大東亜戦争」の戦没者数は三百十万人(軍人等;二百三十万人、民間;八十万人)。


「太平洋戦争」は米国側の呼称。昭和十六年十二月に枢密院にて「今次ノ対米英戦争 及今後情勢ノ推移ニ伴ヒ 生起スルコトアルヘキ戦争ハ 支那事変ヲモ含メ 大東亜戦争ト呼称ス」と東條内閣は閣議決定した。


三権の一角・立法府の長の一人である・尾辻秀久(庚辰)参議院議長は追悼の辞として「本日ここに、天皇皇后両陛下の御臨席を仰ぎ、全国戦没者追悼式が執り行われるに当たり、参議院議長として謹んで哀悼の誠を捧げます。


父は三十二歳で戦死を致しました。母は、残された私と妹を女で一つで必死に育ててくれましたが、四十一歳で力尽きてしまいました。母も戦死したと思っております。戦争が無ければ、早く死ぬ事もありませんでした。


子どもの頃は一度で良いから、お腹一杯ご飯を食べてみたいと思っておりました。そんな私を先日、参議院の議長にして頂きました。


平和な時を生きた、お陰様であります。父より五十年、母より四十年長く生きております。残された命は、戦争の悲しさを伝える語り部として生きて参ります


この平和が取り返しの付かない程、大きな犠牲の上に築かれている事を忘れてはなりません。私達にできる事は、散っていかれた方々の事を忘れない事であります。


平和を守る為に、力の限りを尽くします。戦没者の御霊に、その事をお誓い申し上げまして、追悼の言葉と致します。」と捧げた。


終戦から七十七年が経過した。


撮影:岡本早百合

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