ロシアの『北方領土』不法占拠(=国際法違反)を非難|令和五年「北方領土返還要求全国大会」

【政治報道】 岸田総理(丁酉)は、令和五年二月七日に東京・永田町にて令和五年『北方領土返還要求全国大会』に出席した。北方領土内、北方四島=択捉島・国後島・色丹島・歯舞群島


本大会は昭和五十六年以来、「北方領土の日」に開催している。主催は、北方領土返還要求運動連絡協議会、地方六団体(全国知事会等)と内閣府で構成する実行委。


岸田総理は、「戦後七十七年が経過した今も尚、北方領土問題が解決されず、日本とロシアの間に平和条約が締結されていない事は、誠に遺憾です。」と述べた。交渉は中断中(報道現在)。特に、安倍内閣から尽力しているが、日露間に第二次世界大戦の平和条約の締結(戦争終了の状態)目途が立っていない。




<経緯>

 本大会では声明を“アピール”と称す。本年の声明には、ロシア(統領:ウラジーミル・プーチン)による「不法占拠」の文字が五年振りに戻った。


「北方領土が七十七年前、ソ連によって不法占拠されたまま、今日に至っている事は決して許されるものではありません。」と、日露交渉の再開を強く求めた。


昭和二十年八月十四日に大日本帝国は「ポツダム宣言」を受諾。四日後の十八日には大日本帝国領であった「占守島(上図)」に上陸。千島列島で南下を続け、二十八日に「択捉島」に上陸。九月一日には「国後島」「色丹島」に達し、三日には「歯舞群島」にまで及び、五日までに北方四島を含む北方領土全域を不法に占領。現在に至る。




『ポーツマス条約』時点までに戻せ

 翌二十一年二月二日には、戦勝国である連合国が「領土不拡大の原則/大西洋憲章」を決めていたが、ソ連(最高指導者:ヨシフ・スターリン)が北方領土をソ連領に勝手に編入した。降伏後の占領・編入は明らかな『国際法違反』である。


同二十六年九月八日の『サンフランシスコ平和条約』では、「千島列島における全ての権利、権原及び請求権を放棄」と記す。千島列島には、南千島である択捉島と国後島を含み、歯舞群島と色丹島は含まない、とするのが当時の日本政府の公式見解だった。


但し、北方四島土を不法占拠しているソ連は、出席したものの調印しなかった。依って、不法に占領された側である日本は、強気で北方領土の全返還を求めるべきであろう。特に、北方四島は第二次大戦以前にロシア領ないしソ連領になった事実は皆無。妥協せずに、全領域を奪還する気概が必要だ。


本来は、ソ連が本条約に調印しなかった以上、日本は堂々と「ポツダム宣言」受諾以降にソ連が占領した領土の返還をロシアへ求めるべきである。これが北方領土である。それは、明治三十八年『ポーツマス条約/日露戦争』後の大日本帝国領に他ならない(上図)。現在では、北方領土の一部・北方四島へ矮小化させられている。


尚、ロシア国民は、国際違反で北方四島をロシア政府が不法占拠している事実を知らない。



記事:金剛正臣

† 吉田ひとりで安保条約に署名/日本經濟新聞

画像:総理大臣官邸、終戦後の開戦 -占守島の戦いと指揮官-/東北工業大学、北方領土問題の本質と対応 その5 歴史的経緯1/吉良州司

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