国政の投票率よりも日常への関心

【政治論説】 政治への無関心が叫ばれて久しい。だが、政治への無関心は国民にとって問題、また真実なのだろうか。


総務省は「国政選挙における投票率の推移」を衆院選と参院選に分けて公表している。衆院選で七割の投票率に迫ったのは、平成二十一年。もう十年も前だ。この時は自民党(総裁:麻生太郎)が大敗し、民主党(代表:鳩山由紀夫)政権が誕生した。その後は六割を切って五割に近づいている。一方の参院選では元年まで遡って六割を超える。消費税導入の是非を問い、自民党(総裁:宇野宗佑)が日本社会党(委員長:土井たか子)を下した。以降、投票率は五割台で一度四割台まで落ち込んでいる。


来年には『統一地方選』と『参院選』を実施する。投票率が低いからといって、政治に無関心とは言い難い。投票率が何時の時代でも低めの若者は、近年、スマホのアプリニュースによって政治や社会の時事に触れる機会が増えた。中には積極的な行動に出る者もいるが、多くは積極性の高い国民の判断に委ねている、選挙結果を受け入れるという消極的姿勢ではないだろうか。


全共闘運動や創価学会の躍進を後押しする国民がいた時代とは異なっている。何か大きな目的があり、支持する国民が積極的であれば政治活動に繋がるが、政治的に何か大きな目的をもたない国民は消極的受容でも日常に問題は無いものと判断している。これは日本の政治の成功を意味するのではないだろうか。


政治というものは、日常に直接関係する。投票率が下がり続けているのであれば、それはかなりの多くの国民が現状の政治を悪しとはせず、受け入れている。これは成功ではないだろうか。現在、安倍政権で九月のNHK世論調査は四割が支持をしている。支持しないが五割を超えた事が無いのだ。識者等の旧エリートは国民の心から乖離しているのではないだろうか。自民党政権の中での改革は求める事はあっても、他党政権による変革は然程に求められていない。因って安倍自民一強と呼ばれる。それは成功しているのではないだろうか。


投票率が低いからといって政治に無関心とは断定できない。根拠が無い。投票しない者は投票する者に委ねており、その投票する者も誰かの意見や判断に委ねている可能性がある。創価学会の婦人部は典型的だろう。国民の眼は一先ず任せられる国政よりも地方自治に関心を寄せているのではないか。より国民の生活に近い地方選挙を気に掛けているのだろう。


この先も自民党が強いとは限らない。与党となった公明党は大阪をはじめ地方選挙を重視し、国民の身近な問題に対処してきた。また地方から新たに政党が生まれ、取って代わるかもしれない。既に地方政党は東名阪では出来た。更にブラッシュアップした政治家達の出番でもある。

(了)

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