若手の議員増で今までとは全く異なる未来が

【政治コラム】 先日の臨時会の初日に安倍総理は「四十歳代以下」を若手と称した。


平均寿命が延びている為、若手自体も延び、四十九歳までは若手ということだ。気を引き締めて若手として臨んで参りたい。


さて東京には五輪以外の希望を感じない。この感じないは、若手を含む働き手たちの表情やエネルギだ。あくまでも相対的にであり、五年、十年先を見たくない、考えたくない向きがあるような気がする。それは虚無感であろうか。未来に対して「何をしても意味がない」と考える向きだろうか。


つくられた社会に身を置く虚しさだろうか。一言でいえばシニアが支配する社会。まるで元老院があるかのよう。


ただ実は異なる。

来春には『統一地方選』がある。これは注目度を高める為に四年に一度、地方の選挙をまとめて実施するもの。地方自治は民主主義の学校という。若手が地域社会について思考し、行動し、変革を与えることができる。つまり、未来を変えられる。若手の意見が反映される為には、地方議会に若手そのものがいなければならない。その若手も多数派を構成するレベルで発言力が増す。


ハイムは二十代と三十代で立候補した若手を取材してきた。政党問わず、若手のグループだけで二割、三割を占めれば発言権が増す。安倍総理の言葉を借りれば、四十九歳まで若手。ならば四割、五割も目指せるかもしれない。


シニアに大胆性を求めるのは酷だろう。老いれば、自身や家族の安定した未来を欲するものだ。


ならば若手が議会の多数となれば、大胆に地域の行政が動く。国会ではペーパーレスひとつで揉める。若手が多数ならば、今までの地域行政の無駄や効率化にたくさん気がつくだろう。それをシニアに求めるのは酷だ。デジタル ネイティブの世代とはまるで感覚が違うからだ。


未経験でも大いに問題がない。民主主義の学校なのだ。一年生に完璧にこなすことを求める方がおかしい。失敗を経験してこそ、ベターな地方自治が行える。誰かに地域社会を任せるのではなく、もう自身達で少しずつ関与して、希望ある未来を創っていく。そう、今までは若手がシニアに丸投げしていたのだ。若手にメリットがある時代が欲しいなら、自分達で動く。ただ、それだけなのだろう。


記事:金剛正臣

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