求められる人材は「潔い」シニア、幼稚なシニアは沢山だ

【社会論説】 現代社会に欠けているモノ。それは「潔さ」ではないだろうか。


国民を代表する国会議員を筆頭に「潔さ」が欠けている様にみえる。特に人生の模範となるべき六十代以上のシニア達に尊敬の念を抱けない。全てのシニアではないだろうが、余りにも人生の先輩として稚拙な観が否めない。


端的に言うなれば、「人としてみっともない」に尽きる。それは記者の世界も同じである。まだまだ若造に分類されるハイムから見ても、言動と行動が稚拙で情けないシニアの記者やカメラマンが多い。何十年も記者やカメラマンをやってきて、その程度なのか。


人生の模範どころか、足しにならない。但し、「反面教師」としては役に立っている。


何かを注意しても、まるで言い分が子どもなのだ。国会答弁を見ていても思うであろう。人の過ちには徹底的に追及するのに、自身の場合には口籠ったりする国会議員もいる。こちらは中堅。


組織のトップやリーダは尊敬される様な言動と行動を自負すべきだろう。自身が「そんな事は無い。」と否定しても、その自身を決めるのは周囲なのだ。それに気が付かなければ、裸の王様となる。人生の先輩ならば、善き先輩になってもらいたい。中堅や若手が「所詮、自分はまだまだだな。」と思ってしまう様なシニアが増えて欲しい。


人は極自然な欲求として、尊敬できる人間を求めているものだ。人は完全無欠なパーフェクト ヒューマンになれない事を重々承知している。ただ、器の大きさや立派な姿勢、恥を知る等の「潔い」人間を欲しているのだろう。いつも自身では人として正しいを選べないが、その人間は人として正しいを選べる。そんな「潔さ」だ。尊敬したがっている。


社会が歪で不快ならば、民間も含めて、きっと日本の主要な組織のトップの人間が「潔く無い」のであろう。求められている人材は優れた若手ではなく、「潔い」シニアなのかもしれない。

(了)

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