【社会コラム】 今の感覚が当たり前、常識ではない。今は異常な状態だ。
日本社会は総じて平成時代の“不景気病”にかかっている。バブル崩壊から始まった平成は三十年間あったが、実際の「平成不況」は平成十四年まで。なのに社会が好景気になってないのは何故か。
それは日本人のマインドが“不景気”を基準としているからである。
景気とは経済の動きの事を言うが、“雰囲気”の意味合いもある。社会の雰囲気が悪いままなのだ。元気がない、と言っても良い。実際は不況でないのに、「平成不況」を引きずっている。総じてマインドが暗くないか。完全に守りに徹している。これでは景気は良くならず、社会が明るくはならない。知恵のない野党のように代替案も出さずに文句ばかり言ってはいないだろうか。
先ごろ、若き三十八歳が大臣になったが、応援する声が少ないことが残念だ。彼を批判する人たちは自身が三十八歳の時に彼を超えていた、とでも主張したいのであろうか。自身ができない、できなかったことに対して批判する人は令和時代には不要だ。今、求められているのは挑戦・実行できる人。結局、自身では何も実行してない批評だけをする人ではない。マイナスしか言わない批評家は最早、頑張っている人を邪魔さえしている。
かと言って、過去の苦い経験を忘れろ、とは言わない。
だが「平成不況」が終わってから、もう十五年も経っている。昭和のパワハラではあるまいに、平成の全マイナス思考(不景気病、悲劇のヒロイン)も時代遅れである。
若い者は総じて、よく失敗する。挑戦をしているからだ。だから経済が動く。
老いた者は総じて失敗しない。挑戦をしないからだ。だから経済は動かない。
景気が悪い。だから社会も悪くなる。景気が悪いのに社会は良くならない。
ならば景気が良いだと、社会は良くなる。
令和の大人は景気という雰囲気を良くすることから始めるべきであろう。
感じが悪い。無愛想。挨拶をしない。謝らない。会議は淡々と。営業も無難に。これは楽しいのだろうか。雰囲気が悪いのに景気は上向かない。社会は良くならない。楽しいから雰囲気が良くなって、景気が上向き、社会が良くなる。仕事において「どうやって楽しもうか」がまるで抜け落ちている。
今の大人は楽しんでいる人たちを応援したり、その中の輪に加わったりしているだろうか。
「踊る阿呆(あほう)に見る阿呆。同じ阿呆なら踊らにゃ損々」
挑戦する若い者に踊る場所を与え、見守るのが老いた者の役割。平成が上向かなかった理由は、これだ。踊る若い者からどんどんと場所を奪い、今では低所得な彼らの遊びはスマホのゲームしかなくなった。特に風営法の度重なる規制が典型的だ。今では喫煙場所でさえも規制している。子どもたちも公園を奪われ、公園内では自由にボール遊びもできず、身体を成長させるための運動が減り、やはりゲームしかなくなった。
完全に今の意思決定者であるシニアは異常だ。つまり今は異常だ。若い者や子どものためと戯言を吐き、あらゆる自由を奪い続けている。だから自由奔放である若い者と子どもの心が狭くなり、大人になればギスギスした人間関係(心を開かない)が当たり前になってしまっている。
もちろん、全うなシニアもいるが少数過ぎる。だが年金や医療費を賄ってくれている働き手を思いやる、感謝するシニアは、あなたの周りにどれだけいるのだろうか。
若き者も含めて、意思決定者はマインドの“不景気病”から抜け出さなければならない。そして若い者と子どもに自由を与えるべきだ。さもなくば、五十代以下が連鎖爆発する。これは非常に危険で、一度、爆発をすると後には戻らないだろう。シニアとの分断のことだ。核家族化よりも深刻な社会をもたらす。変わらないなら働き手達に排除される。いや、既に排除されつつあるかもしれない。これは人間社会として良くないことだ。
だから奪った自由を返す。
若い者、子どもたち、そして働き手すべての人に自由を。さすれば景気が上向き、社会が良くなる。シニアの力だけで景気を上向かすことは所詮できないのだから。
記事:金剛正臣
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