ヤフコメ等による世論形成への問題、令和時代には責任ある意見を

【社会論説】 Yahoo!やTwのコメントで世論が形成され、政治的意思決定に影響を与えている点を問題視する。


輿論(よろん)と世論(せろん)は違う。社会学者の京大・佐藤卓己 教授は、記事「輿論と世論の違いが分かりますか?/慶應MCC 夕学リフレクション」にて両者の違いを明示的に指し示している。

「輿論」は正確な知識・情報をもとにして、議論と吟味を経て練り上げられるべきものに対して、「世論」はたぶんに情緒的な感覚、日本語でいえば「空気」のようなものである


Yahoo!やTwは輿論ではなく、世論だ。武漢肺炎に対する国の緊急事態宣言は、正に世論によって決定された観が否めない。それまで安倍首相は経済的な打撃を鑑み、慎重な姿勢を崩さなかった。日本のソーシャル メディアのコメント欄を眺めれば、身元不明者が多い事が一目瞭然である。この身元不明者達によって世論を形成し、政治的意思決定を行って良いものだろうか。

否、身元不明者達の意見を基にしてはならない。



例えば、現代ビジネス/講談社のとある記事に対してのコメントに「最近、この手の記事は内容を読む前にコメント欄を見るようになった読むべき記事なのか読まなくていい記事なのか一目でわかる。この記事は読まなくていい記事みたい。」と打ち込まれた。コメント者の顔写真はなく、ヤフーIDも伏せられている。この記事を書いた者は、国際投資アナリスト・大原浩。顔写真もGoogleで表示され、身元が明確である。媒体の名前と運営社も明確である。


先程のコメント者は、同じ様な身元不明者のコメントを参照して「読むべき、読まなくていい」を判断している。明らかに間違っているITリテラシだ。身元不明者の感想・憶測を基に、身元明確者が自身の職(信用・信頼)を懸けている記事の良し悪しを判断できる訳がない。著者が国際投資アナリストならば、対抗できる反論者は通常、国際投資アナリストだ。

他の国際投資アナリストの記事や意見を基に判断する事が、ITリテラシ上でまともである。



ここは米国民を参考にした方が良いだろう。彼らは顔を隠して、名前を隠して政治的・経済的・社会的意見をソーシャル メディアで基本的に発信しない。自身のコメントには責任をもつ。日本も顔を出して、責任をもってコメントをすべきであろう。


政治家等に責任を求めるならば、主権者たる国民が模範を示すべきだ。政治家等は顔も実名も晒している。彼らに意見を言いたくば、まずは己が顔と実名(身元)を明かすべきである。身元を隠しての意見は卑怯だ。


そして政府等は世論ではなく、輿論を重視すべきだろう。世論に、身元不明者達に怯えてはいけない。日本国民は愚かではないので輿論がきちんとしていれば、世論もきちんとする。そういった事象を幾度も見てきた。問題なのは、TVで専門外の者が言いたい放題で無責任な発言を繰り返し、世論形成をしてしまっている事である。TVには報道機関として気概が薄いと言わざるを得ない。


Yahoo!やTwは報道機関ではなく、ソーシャル メディアだ。そのソーシャル メディア上で一つ輿論がきちんと形成されれば、感情的ではなく、冷静な判断を責任者ができる様になるだろう。今の日本の世論は顔を隠した、専門外の人間に振り回され過ぎである。また輿論は業界毎に構築される事が多いので(今回の武漢肺炎では医療界や医学会)、各業界の輿論を統合する力も必要である。


身元不明な無責任なコメントは無視し、身元明確な責任ある意見を令和時代には重視する。

顔や実名を隠すのは「時代じゃない」にしよう。


画像:Yahoo!JAPANTwitter

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