堀江貴文『東京改造計画』の実現可能性と若手代弁メディアからの意見

【書籍考察】 令和二年五月三十日に実業家・堀江貴文(壬子)の新著『東京改造計画/幻冬舎』が発刊された。都知事選(告示;六月十八日、投開票;七月五日)出馬の可能性も取り沙汰され、報道現在で五万部を超えているという。

内閣府としては四十七歳は若手という事もあり、若手を代弁するFPハイムも考察を入れる。


新著は、東京に対しての三十七の施策を提言。今日明日で実現できるものは多くないが、若手がこれから生きていく東京及び東京以外の都市等でも有用な施策が垣間見える。民間の実業家目線として、長きに亘って採用に値するものだろう。



<玉石混交だが妙案多し>

 序章には「東京は政治屋たちの私物ではない」と大きな字で主張している。今までの都民・国民は有権者・主権者意識が弱かった。この主権在民から入った点は特筆に値する。堀江は東京は都民のものであるとの当たり前だが、あまり意識されてない事を投げつける。現職の都知事の事を政治屋に位置付け、自己の生活の為に行う政治に数々のクレームを投げつける。


特別職の国家公務員(国会議員や高級官僚)が持っていなければならないのが「国家観」。敢えて言うなれば、知事には「自治体観」がなければならない点を指摘している様に感じる。意外にも教育の部分(第二章)に力が入っている様に感じる。若手目線で、全ては確からしいと言い難いものの、大方は実行した方が良い点が散見できた。東京以外でも通じる内容だ。


今回の提言の本丸は、東京を「暇つぶし都市」にしたい点だ。これが堀江なりの自治体観なのであろう。字面だけでは今一つ分かり難いが、人生百年時代に全世代が適応できる東京にしたい、との趣旨だろう。特に「遊び場を増やす」点には大いに賛同できる。



何故、現職は公約を実現できなかったのか

 一方で通読すれば、非現実的な面が垣間見える。政治は論理よりも感情が優先されてきた。これは中堅以上が受けてきた教育のせいとも言える。現職・都知事は都議会で第一会派を有しているにも関わらず、公約の「七つのゼロ」を一つも実現できず、四年間で実現ゼロという失政を行ってしまった。理由は簡単である。現職の為に誰も動いてくれなかったのだ。


東京は世界一の都市だ。米NYの倍ちかくの都内総生産(≒GDP)を有し、世界のGDPランキングでも常に二十位以内に入っている。それだけ人間関係が複雑とも言える。現職は第一会派を有しても、公約を実現できなかった。都民は現職に協力しなかった。協力に値する人間と見做されなかった。東京は都民のものだ。この感覚が現職にはなかった。



チームの長(おさ)として

 堀江はどうか。一匹狼だ。政治家の経験も無い。この点は譲れるとしても、現状、政治が論理だけで動いてない、否、感情で動いている事を知らねばならない。幾ら優れた施策を打ち出しても絵に描いた餅になる。何故なら、堀江には政治のチームが無い。作る気はあるだろうか。堀江には経済で協力してくれる味方がいない。重鎮達と仲良くなる気があるだろうか。そして何より、自身が都知事に成る気がないかもしれない。


本来は堀江の様な優れた論理の施策で都政を全うするのが良い。だが、現状の東京の主要な意思決定者達は論理ではない。感情、特に逃げない情熱だ。彼らを説得できる者だけが東京を大きく改造できる。そして最も重要な事は都民、特に若手の都民が「その者を推すか」である。以前に同じ若手の現職・環境相と新選組・代表についても記したが、チームの長(おさ)として、社会、取り分け重鎮達に認められる必要がある。


さすれば、この改造計画は巧くいくだろう。


記事:金剛正臣

画像:Amazon

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