次の『情報(ネイティブ)世代』が社会に出ると何が起きるか

【社会考察】 もう一つの東京ともう一つの日本ができる。


以下、前半は事前知識となる説明部。後半は展開部。


 安倍内閣はゆとり教育を終わらせて、創造社会(S5)の高等教育を推し進めている。大学の原点回帰や高校の新科目「情報」必修化、小中一貫教育、幼稚園の常道教育等と矢継ぎ早に策を講じている。


報道府が安倍内閣を評価できる点は、この教育に尽きる。戦後、日本は米国(民間情報教育局;CIE)の占領政策で教育が変わった。工業社会(S3)の時代には高度経済成長等で奏功したが、平成時代の情報社会(S4)で日本は何も成長しなかった。特に取締役等の意思決定者への教育は失敗した。今のシニアの事である。


来るべき創造社会では国語・情報(数学)・道徳が肝となる。


戦前も教育が失敗していた。自民・齋藤健 衆議が動画講座「政治家のための戦前史」でも触れている。明治を創ったのはゼネラリスト・藩士(武士)で、日露戦争に勝利。その後、スペシャリスト・軍人の台頭で、日米戦争に敗北という点だ。


『都知事選』でも落語家・桂春蝶が連載「桂春蝶の蝶々発止。/夕刊フジ(六月三十日付)」にて薩摩藩・島津家の教え、人間の順番を挙げた。

  1. 何かに挑戦し、成功した者
  2. 何かに挑戦し、失敗した者
  3. 自ら挑戦しなかったが、挑戦した人の手助けをした者
  4. 何もしなかった
  5. 何もせず批判だけしている者


挑戦した者が人として上位、批判だけ(今でいうコメンテータや学者)の者は下位。こういった内容は道徳になる。道徳教育が欠けたから、自分ファーストだらけになる。大和民族の本質的な「和を以て貴しとなす(十七条の憲法 第一条)」からはほど遠い。安倍内閣は道徳を教科にした。これからの子ども達は道徳を学ぶ。道徳教育を否定する者は、何の教科で自分ファーストの現状を変えるのだろうか。否定だけする者は、島津家に倣う所の最下位の五の者である。

排除はしなくとも良いが、価値は低い。



<国語が智の基礎>

 次に日本語(国語)ができなければ、他の教科は学べない。これは国語力=学ぶ力と云える。百合子都知事の国語力は記者会見を見れば分かる通り、「質問文を理解できない」「何が言いたいのか分からない」等と低い。


ビジネス数学教育家・深沢真太郎は記事『「円周率とは何か」と聞かれて「3.14です」は大間違いである/プレジデント』にて「数学とは、コトバの使い方を学ぶ学問。」と言い切る。数学語だ。これは数学の世界だけではない。法学語、音楽語、医学語等。何々用語と言えば伝わるだろうか。何にせよ、全ての土台は国語であり、各学問で専門化する。


その国語力をもって情報学を学ぶ。ゆとり世代は少し大丈夫かもしれないが、氷河期世代以上は新科目「情報」の内容を理解し、ビジネス等に活かせるとは言い難い。


平成時代の失敗は情報社会にも関わらず、取締役等がデジタル情報を知らない、使いこなせなかった点にある。少なくとも取締役会に氷河期とゆとり世代がいれば、変わっていたであろう。次は創造社会。クリエイティブ精神・技術がある若手を取締役会に招かなければ、平成の二の舞となる。



それは何時の学歴か

 それどころか、次の統計を普通に扱える若手『情報(ネイティブ)世代』を取締役会に入れなければ、衰退は確実だ。何故なら、氷河期・ゆとり世代も碌に統計学を学んでいないからだ。好き嫌いや感で未だにマーケティングを行っている。もしくは運用を間違っている(例;SNSの数字が大きければ良い等)。


新たな情報世代が社会に出れば、年功序列は逆転する。何故なら「人・物・金・情報」の内、最も重要な要素は情報だからだ。情報世代は情報強者だ。面白い事に、きっと彼らは強者である点を分からずに社会に出る。そして既に若手からもスタートアップを含め、新興勢力が台頭している。報道府も新興勢力だ。だが一部において他の巨大・報道機関よりも成果を上げている(記者会見や街頭演説の動画化等)。


現在のシニアの若手・中堅の頃にはリカレント教育はなかった。よって、先の都知事の様に国語力は劣り、日本語のコミュニケーションとして破壊的になっている。同じ様にデジタルを使いこなせるシニアもいるが、大多数ではない。大方はアナログな人生を送っている。これは機会損失となる(給付金のWeb申請等)。


選挙では単なるイメージで投票する。政策は知らない。書かれている日本語が理解できないのかもしれない。相対的に学歴が低いからだ。主に高卒以下が大多数(マス)となるのがシニア。しかも大卒だとしても現在の若手の大卒とは学びの質が雲泥に異なる(例;経済学者が簿記を知らずに財政を語る等)。


若手が選挙に興味がない理由は、これだ。法治国家・地方自治の選挙には、それ相応の知識がなくば判断し難い。だが実情は低学歴達がイメージで決める。一生懸命に政治を勉強しても意味がない。


これは政治や会社、NPO等でも同じ様な若手の思いはあるだろう。


<Linker'sが極超・高度経済成長期を創る>

 情報世代からは変わる。何度も重ねるが、デジタル ネイティブといえども創造社会に適応できる訳ではない。YouTuber一つとってもパターン化している。単一的な動画はクリエイティブとは異なる。クリエイティブは事実上のイノベーションだ。ユーザの人生が変わるレベルを創造社会では求められている。


情報世代は、その時の最適解を予測し、他世代と繋がり、成果を創り、ブラッシュアップ(PDCA×ビックデータ×AI)高速化を図り、目標実現・目標達成をしていく。ポイントは「他世代との繋がり(LINK)」。ここが、ゆとり世代以上は弱い。ボトルネックだ。自身がLinkerにはなろうとしない。

報道の基本は取材であるので、どこに誰に繋がるかで記事になる。日々、Linkerだ。


情報世代はLINKがボトルネックでもあり、イノベーションの要と学ぶ。故に政治・経済・社会は大きく変わる。例えば、経済評論家・中野剛志が「日本経済学新論/ちくま新書」にて現在の日本で語られる経済学を「西洋経済学」と見做し、武士・渋沢栄一等の様に「日本経済学」に戻すべきとのヒントがある。大和民族はアングロサクソンではないからだ。


現在の日本にパーツとしては優れている人・物・サービス・企業・自治体・行政等、枚挙に暇がない。だが、パーツ単体で浮遊しているから性能を情報社会で発揮できなかった。


創造社会では更なる組合わせの高度化が求められるが、いわゆるゼネラリストが少ない。スペシャリストが幅を利かせている。部分最適には優れているものの、全体最適には不向き(例;現在の左派野党)。全体最適を日本は欲している。浮遊しているパーツを、どう連結するか、いつ繋ぐか。まるでレゴの様に組み合わせができる者が創造社会の上位となっていく。


これからの日本は若手から高所得者と新・富裕層は、どんどん生まれていく。日本史にない程の極超・高度経済成長期が到来する事を意味する。これを否定する者は、既に過去に生きている。その者の年齢は若いか、最終学歴は何時か、今までに社会の何を変えてきたのか。来る創造社会において、若手以外に未来を創れる者はいない。中堅・シニアは不要にならない。逆に今まで以上に間違いなく、必要になる。

未来は創っている者のみ断定できる。

ヒントはもう一つの東京ともう一つの日本。


記事:金剛正臣

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