【社会考察】 終戦の日から一週間、ハイムは戦争関連の記事を配信してきた。最終日の今日は「東京大空襲」。聞いた事があっても、事実を知らないユーザの為に報じる。
東京大空襲は、昭和二十年三月十日に米国が下町(城東エリア)で行った大規模空襲。日本人・十万人以上を無差別に虐殺した。罹災者は百万人超。女・子どもの非戦闘員を、ただ焼き殺した。
戦時国際法がある。戦争に関するルールだ。「ジュネーヴ条約」や「ハーグ陸戦条約」等がある。各条約の中で共通項は複数あり、『非戦闘員への攻撃の禁止』がある。非戦闘員とは、軍隊に所属してない者。
スポーツマンシップを重んじる米国が、当時、ルール違反をした。
令和二年八月十九日付で日刊ゲンダイは、東京大空襲の記事を掲載。取材は二口隆光。どの様に米国が下町を空襲したかを記した。
米軍が採用したのは「十文字作戦」と呼ばれるものだった。炎で大きな丸い円を描き、その中をさらに十文字に焼く。円の中にいる人たちを火で囲んで封じ込める“皆殺し作戦”だ
対象となったのは、軍人ではなく、一般国民の非戦闘員。以下は「東京大空襲・戦災資料センター」より。
焼夷地区1号の目標地域には、軍施設や軍需工場などの明確な軍事目標はほとんどなく、アメリカ軍の目標となった大きな軍需工場は精工舎や大日本機械業平工場のみで、築地、神田、江東などの市場、東京、上野、両国の駅、総武線隅田川鉄橋などが実際の目標でした。住民を殺戮し、それによって戦争継続の意思をそぐことが、主な目的でした
子どもを抱いて、道にうずくまる母を描いた「無惨に焼かれた母子」
米国による空襲自体は前年の昭和十九年十一月から始まっていた。五月二十五日には「山の手大空襲」等の大規模空襲を経て、八月十五日の青梅町の空襲まで百六回もただ虐殺をし続けた。最初は十機程度だったのが、日を追うに連れて増え続け、最大で五百機近くが九ヶ月間も東京への空襲に来た。精神異常を来すレベルだ。
非常に多くの小学校が焼け落ち、多くの小学生が死んだ。明確な死者数は未だに不明。
これでは鬼畜と呼ばれて仕方ない。
東京大空襲で最も被害が出たエリアの一つ、江東区では平和記念パネル展「東京大空襲と学童集団疎開(写真上)」を催している。二十五日まで同区「文化センター」にて。どんな焼夷弾が空から落ちてきたのか、空襲から一夜明けて街に焼死体が転がっている、当時のありのままの写真等を展示。
「江東図書館」では貴重な資料を展示する「学童集団疎開 資料室(写真上)」を通年で閲覧できる。こちらでは、疎開した子どもへ親からの手紙や親への子どもからの手紙、子ども達の疎開先での日誌、朝・昼・晩の食事内容等と今の子どもとは大きく下回る境遇(日々)を知れる。しかし、子ども達は写真では笑みを見せていた。好きだった食事は肉のないカレー。
また、東京大空襲の貴重な体験記録「東京炎上 夜間大空襲」もパネル展と区役所で配布している。
戦争が悪いのではない。戦争のルールを守らないのが、悪い。
戦争は普通、誰も望んでない。当時の日本もそうだった。帝国主義時代に乗り遅れた米国が参戦したいが為に、日本の奇襲をあの手この手で煽った。
その間、日本は人類皆平等「八紘一宇」の思想で、朝鮮を中華の属国から解放し、百に迫る程に政府が乱立していた中国を一つにまとまる様に動き、欧米列強の帝国主義で植民地とされていた東南アジア諸国やインドを独立へ導いた。当時は白人至上主義であった。米国では未だに人種差別がある。
東側の第二次大戦は「西洋・帝国主義」対「アジア・開放主義」だった。
ルール違反した米国に負けはしたが、事実、西洋・帝国主義は終わった。
現代でも戦争をしたい国、というよりは戦争をしたい者がいる。
理由は儲かるからだ。軍事力を増強し続け、第二次大戦後から米国は経済も含めて世界一位になった。今は中国や北朝鮮が軍事力を増強し続けている。中国に至っては世界二位になっている。日本は第二次大戦とは切り離して、唯一の同盟国・米国と未来の敵と相対しなければならない。
その中国は沖縄周辺で仕掛けている。ロシアも北方領土で仕掛けている。
中国は空襲できる空母を建造し続け(日本は持ってない)、北朝鮮は核爆弾を保
有(日本は持ってない)、ロシアは極超音速ミサイルを開発(日本は迎撃できない)。
今の日本では、また東京大空襲をされるかもしれない。そもそも、どうやって守るのか。
憲法九条を堅持していれば、空襲されないものなのか。
これが第二次大戦の反省なのか。
当時の様な“陸軍的な精神論”でなく、国防に“具体的な対抗策”を求めたい。
東京大空襲を含めた日本人・三百十万人を再び自国ファーストの国に殺させない。
これが真の反省ではないのか。
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