【教育報道】 讀賣新聞(主筆:渡邉恒雄)は、令和四年九月十八日に記事『教委いじめ担当部署「全員が教員出身」五十三㌫、「身内意識で対応甘くなる」指摘も…読売調査』を配信。教育方法学が専門の「千葉大」藤川大祐(乙巳)教授の言葉を掲載した。
現場に詳しい教員出身者は一定数必要だが、身内意識から対応が甘くなり、調査の中立性や専門性に欠ける。法令に詳しく、客観的に対応できる行政職員を置き、教員出身者に目を光らせるべきだ
讀賣新聞も「教育委」を問題視している。教育委は、地方公共団体(自治体)の行政委だが、『地方自治の基本原則(憲法・第九十二条)』により、実質的な民間組織。以下の様な特徴がある。
- 組織;原則、教育長と四名の委員
- 委員;非常勤の「特別職 地方公務員」。首長が任命。任期四年
- 構成;定数の過半が同一政党に属してはならない。年齢・性別・職業等に著しい偏りを生じさせない。「保護者」を含む
- 事務局;教育庁、教育局
<若者・若手の保護者の意見は劣勢>
六月にハイムは、記事『「教育長」の給与は委員の四倍~十倍|地方教育費調査/文科省』を報道。教育委の年代構成を伝えました。三十代以下の若者が著しく少なく、上記下線部に反しています。中堅・シニアである「バブル・しらけ世代」が実に六十三.〇㌫も占めています。
- 六十代(主に「しらけ世代」)=三十七.九㌫
- 五十代(主に「バブル世代」)=二十六.一㌫
- 四十代(氷河期世代)=十八.八㌫
- 七十代以上(「団塊・焼け跡世代」)=十五.六㌫
- 三十代以下(「プレッシャ・ゆとり世代」)=一.六㌫
詰まり、上記データから近年のいじめ等に関する教育委の問題は「団塊・焼け跡世代」ではなく、「バブル・しらけ世代」に起因する責任問題と言えるのではないでしょうか。先ず各教育委は、年齢の著しい偏りをなくす事から始めるべきでしょう。三十代以下の若者の割合が少な過ぎます。
その教育委を代表するのは「教育長」です。六十代(主に「しらけ世代」)が教育長全体の七十九.一㌫も占めています。
文科省は「合議制/教育委員会制度の特性」にて、
多様な属性を持った複数の委員による合議により、様々な意見や立場を集約した中立的な意思決定を行う
としています。
いじめと教育委
尚、報道現在で当該ニュースのヤフコメは、一千件を超えました。
元中学校の教員です。 いじめ問題についての私の管見を書きます。
昔からいじめはありました。ただ、今の様に深刻ないじめは殆どありませんでした。
一番大きな理由は、今の教員は生徒に舐められているからです。昔は厳しい指導が当たり前で、もしいじめが問題になったら、先生や親に厳しく指導されていたからです。勿論、今の親も舐められています。
子どもは怖いもの知らずです。不幸な事ですね。
いじめは、先生や親、警察等大人が介入しないと絶対解決しません。特に先生には強い権限を与えるべきで、現在それができていない限り、いじめの解決は難しいです。
教育委員会には、いじめを解決する力は有りません。教員以外の第三者を入れるべきです
学校で子どもや親がいじめの疑いがあると言っているのに当事者である学校側がいじめは無かったとか言う事自体がおかしく、客観的判断ができる立場の人が調査・判断するのでなければ組織の存続意義は全くないと思います
いじめの発生自体とその解決を担当教員の責任にしなければ身内意識でかばう事もなくなると思うのです。(いじめの発生の報告は担当教員の職務とし、報告の遅れは担当教員の問題とする)
いじめは犯罪であり、いじめを行った子どもに対して出席停止を含めた厳しい罰を与え、いじめの発生自体は担当教員の責任にしない事
これだけで相当変わると思います
教委の全ての問題に教員を充てる事が問題ではなく、学校での問題に弁護士や警察の介入がし難い状況である事が問題ではないかと思います
いじめ対策担当の組織には、教員出身者だけではなく、第三者を入れた方が良いと思います。教員出身者だとどうしても身内意識が強くなり、適切な判断ができ難くなると思います
いじめの定義から間違っているというか、捻じ曲げているというか、教委のいじめ担当組織は存在している意味があるのか?
そもそもこういう部署を設立する際の予算はどうなのだろう。
弁護士や大学教授等の、立場のある人はそれなりに忙しいはずだし、ある程度の報酬を出さないと、引き受けてはもらえないだろう
身内で甘くなるのはあるだろう。
だが、一番の問題は、責任を感じていない、管理対処能力が無いと言う事ではないだろうか
いじめは犯罪だという「意識」だけでなく、そろそろ本格的対応に乗り出すべきと思います
閉鎖的な教育界のパワーバランスを考えると外部の人材を三割程度は配置して欲しいと思います。
虐めなんか直ぐに無くなるでしょう。恐喝や暴力、ネットの誹謗中傷等は、全て警察に通報して逮捕か退学か停学にすれば良いのでは無いでしょうか?
虐めた生徒の未来がどうのとかの批判は、今現在が被害者の未来が閉じられている状態なのです
どんな問題が生じても、学校の教員や教育関係者と言われる人達は、あらゆる理由を作って責任を回避する事に努める。もちろん教育者なのだが、生徒達の事を考える事はない。
その為、生徒が犠牲となり問題が解決される事はない。日本の学校教育の風土を変えないとだめだと思う
そもそもの教育委員会の人員体制が教育関係者だけにならない様にしておく必要があります。これまでの事例を見ていると最初で躓いている事が多いと思います
日本の本当に下らない所だけど、いじめがあった学校や学校長の評価が下がるから、隠蔽したがるのでしょ。
子どもの命より自分の評価、ってのも教育者としてどうかと思うけど、評価制度が悪いんでしょう
担任が一人で見る生徒の人数に対して児童生徒と向き合う時間が、他の業務で圧倒的に足りていない。
これも公務員削減のしわ寄せ
記事:京秦正法
画像:教育委員会制度について/文部科学省
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