報道リテラシが生む、これからの人生格差

【人生考察】 教育と言えば、令和時代において子どもだけの事ではない。リカレント教育を怠れば、例え高い学歴であったとしても未来は覚束無い。大人こそが教育。


これは平成時代から一部のエリートより言われていた。だが、漸く賢き大人が殖えつつある。


日経電子版のCMでは「人は、毎日触れるもので視座を養う。」というフレーズがある。正にその通りだ。だが、日経(日本経済新聞)は経済学や行動経済学、経営学を以て記事を考察しているとは言い難いだろう。媒体の名には“経済”と銘打っている。


それは各企業の代取の取材現場でも時折、目に付く。日経の記者は比較的、果敢に重ねて質問をしているが、あまり代取向きの質問とは言えないものも散見。的を射てない質問では、視座を養う記事づくりができないだろう。


これは日経に限った事ではないが、政治・経済の現場記者の学が低い事にある。民法TV局に至っては、質問に何も期待できない。一方の民放ラジオ局の記者には、きらりと光る質問がある。




<記事には類型がある>

 結局はメディア リテラシの話しなのだが、情報格差は甚大に広がっている。優れた記事を呼び込める者と呼び込めない者。この差は十年以上、埋まらない。ひょっとしたら、一生埋める事ができない程に差が開きかねない。


では記事には如何様な種類があるのか。

  1. 詳細記事
  2. 考察記事
  3. 言論記事
  4. 通信記事
  5. ゴシップ(芸能)記事
  6. こたつ記事


この順番は上下とは異なる点を留意されたい。「詳細記事」は、ハイムが取材現場から書き上げるタイプ。現場の空気感さえも事実として記事に含む。「考察記事」は、取材情報や報道によって起こる事象から一つの考え方や方向性を指し示すタイプ。現場のプロ故に書ける。書籍で出版という形式も多い。


「言論記事」は、媒体や記者が直接ないし間接で訴えたい事。今は比較的に大枠というよりポイントに絞ったタイプ。論客を交えての論議やロング インタビュ等がある。「通信記事」は、今最もネット上で多いタイプ。速報命で通信社が担う様な記事。情報のみ。


「ゴシップ記事」は、芸能人の身の回りの記事。女性週刊誌的とも言える切り口が多い。「こたつ記事」は、ゴシップ記事の派生とも言えるが、SNS等から検証なく記事を配信している。報道媒体での企業リリースを右から左に流しており、こたつ記事と然(サ)して変わらない。共にノンチェック。



報道リテラシ

 こたつ記事等が問題視されているが、報道リテラシが高ければ、然程問題がない。問題は報道リテラシの低さの方だ。「読解力」と「記事の内容予測」がポイントとなる。


前者は子どもだけの話ではない。子どもの方は「国立 情報学研究所」新井紀子 教授が記事『「九割が教科書を読めていない」私立文系しか行けない子供たちの末路/プレジデント』にて警鐘を鳴らす。大人の方は、元・日経BP社の記者だった経済評論家・加谷珪一が記事『「日本語おかしい」と他人を批判する人が増えたワケ。テレワーク時代に必要な文章スキルとは/ミモレ』で同じく読解力に警鐘を鳴らす。

試験問題に掲載されるような、ある意味では明瞭さしか取り柄がない文章を書いているにもかかわらず、「文章がおかしい」という反応が出てくる理由はやはりネットの普及でしょう



更に付記する。精神科医・アンデシュ ハンセンは記事『「置いてあるだけで学習能力が低下」精神科医が語るスマホの"本当の怖さ"/プレジデント』にて、スマホの存在が長期記憶の形成を妨げている可能性を示唆した。これは彼だけでなく、他の医者達も警鐘を鳴らしている。子どもへのタブレット教育は思考には役立つものの、長期記憶の形成には不向きという可能性だ。


万一そうならば、タブレット教育された子どもは、その内容を大人になるまでに忘れている事になる。これでは教育の本末転倒である。




<若年性 記憶障害を恐れよ>

 話しを戻すと、スマホ社会ではスラング的な記事が並び、主に短文にて刹那的にコミュニケイトされ、「数分前の話しを覚えてない」「数行前の文章を覚えてない」という事象が起こっている可能性がある。スラング的な文章では伝達力に限りがある。文章を記憶してないので、文脈は分かる筈もない。そして読解力低下に繋がる。そもそも何を言っていたのか、覚えてない。そもそも何が書いてあったのか、覚えてない。



現代人は記憶より記録を重んじ過ぎているので、記憶を重視する。記録は補助。この位の意識は必要だろう。


読解力を磨いた結果、各種記事の見出し(タイトル、表題)から自身の視座を養う記事を呼び込める。先に挙げた六つの記事の見出しには、ある一定の型があるのでパターン化して覚えておけば、不要な記事をクリックないしタップしないで済む事が減るだろう。



指の動きが速過ぎるから覚えない

 PCやスマホで共に言える事だが、読み進めるスピードを通常の十倍遅くする事から始めた方が良い。「読む・覚える」に対して下へのスクロールが速過ぎる。脳科学的には「読んだ」ではなく、「見た」で終っている筈だ。


皆のスクロールのスピードでは脳内の「視覚野」までしか届かず、読み解く部分の「前頭前野」で情報(クオリア)処理が終わるとは思えない。中途半端に思考が終わる為、記憶されずに入ってきた情報は捨てられる。その位、速過ぎるスクロール スピードだ。IQだったら百二十以上を必要とする程のスピードではないだろうか。




打開策

 今迄に何本の記事を見たか、読んだか。その内、覚えている記事は何本あるだろうか。視座を養うどころか、「何も覚えてない」「何も人生に活かしてない」なら、傍から見ると四角いチョコバーの様な画面を親指で、日々、毎時、ただ下から上に擦っているだけだ(スマホの場合)。その為に何時間を日々、費やしているだろう。


「覚えれない」「活かせない」のならば、スクロールを早くする必要は何も無い。情報を「覚える」「活かす」為に、スクロールを遅くした方が効果的であろう。


情報格差は斯様に開いていく。今はニューノーマルへ向かっている。昭和の様に、せせこましく急ぐ必要はなくなった。令和は牧歌的にゆっくり確実に、人生百年時代。短気は損気、気長は得長。


着実に報道リテラシを高めていった(自身に本当に為になる情報を獲得した)方が、虚しい人生を送らずに済む。


記事:金剛正臣

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